今日は僕が好きなストーリーと諦めなかった不動産投資個別相談にきた相談者さんからのメッセージをご紹介します。
お世話になっております。約5年前に六本木で面談をさせて頂いたSと申します。5年という月日がかかりましたが、今月で無事CF100達成しましたので、お礼のご連絡になります。CFがある事により、株に回せる資金も増え、他の事業にも時間を使えた結果、トータルでは月200を越える事が出来ました。
安定したお金がある事により、自由な時間が生まれ、新規の勝負にも瞬時に動ける等、更なる好循環が出来上がりました。
去年子供が出来、サラリーマンの友人が経験できない様な子供との時間の過ごし方や、贅沢な時間を満喫しています。不動産・株・他の事業で最低でもCF500位までは先が見えている状況に毎日幸福感を感じています。
不動産賃貸業を26歳で始めて本当に良かったと感謝しております。間違いなく人生が変わりました、本当に有難うございました。
こういう仲間がたくさん増えてくれると自分自身も達成感があります。現に周囲にはサラリーマンからアーリーリタイアした人たちがたくさんいます。
ただ、この世界には、できる人、できない人の2パターンに間違いなくいます。極端な言い方をすると天国と地獄の分かれ道になります。
さて、ここからはそもそも気持ちで負けてしまう昔の僕みたいに弱い人間がどうしたら、アーリーリタイアできたかブログで書こうと思います。その一環で先人たちからの知恵や考え方で助けられた部分もありました。もし、自分には不動産投資なんて、できないと思う方は一つの参考として読んでみてください。少しだけ気持ちが変わるかもしれません。
ここはミシガン州にある小さな町。僕はボランティアで全国教育開発プロジェクトを運営していた。あと二年で定年退職を迎えるベテラン教師ドナは、小学校の四年生を教えていた。
その日、僕は教室の後ろに座り、授業を見学していた。生徒たちは与えられた課題に取り組んでいるらしく、ノートに何か思い思いに書いていた。
僕が隣に座っている生徒のノートをのぞき込むと、「できないこと」と題して、いろいろなことが書かれていた。
「セカンドベースを超えるくらい長いキックができない」
「三ケタ以上の割り算ができない」
その10歳の女の子はノートを、そんな調子で半分埋めていたが、まだまだ書き終える気配はなかった。他の子どもたちも同じように懸命に書きつづっている。
「腕立て伏せが10回しかできない」
「レフトフェンスを越えるようなボールが打てない」
「クッキーを食べだすと一つでやめられない」
何のためにこんなリストを作っているのだろう?
その理由を聞こうとドナの方に歩いていくと、彼女もせっせと書いているではないか。そこでとりあえず、おとなしく状況を観察することにした。
ドナのリストは次のように始まっていた。
「ジョンの母親を説得して父母会に出席させたいけど、
まだ実現していない」
「車のガソリンを入れるように言っても、娘はその通りにしてくれない」
なぜこんな否定的なことばかりで、肯定的なことを書かないのだろう?僕にはまだ見当がつかなかった。自分の席に戻ると、またじっと観察を続けた。
10分もたつと、子供たちのノートは「できないこと」で一杯になっていた。中には2ページ目に取りかかっている生徒もいる。
「さあ、まだ最初のページを書いている人は終わらせてしまいなさい。1ページ目にいっぱいになった人は、そこでやめるように」
ドナの声が作業の終わりを告げた。
生徒たちは、言われたとおりにリストの紙を半分に折り、先生のデスクの上の靴箱に入れた。
ドナも自分のリストを一番上にのせてふたをすると、箱を脇に抱え、生徒を従えて教室を出ていった。いったいどこに行こうとしているのだろう?
ともかく、僕も後ろについていくことにした。
先生と生徒の行進は用務員室の前で一度止まり、ドナは中に入っていったが、やがてシャベルを持って出てきた。片手に靴箱、もう一方の手にシャペルを持った彼女を先頭に、校庭の隅まで行って止まった。
ところが、どうしたのだろう?
今度はみんなで穴を掘り始めたのだ。
何と「できないこと」を埋めるためにお墓を掘っているのだ。
生徒たちは順番にシャペルを握ると、穴掘り作業に加わった。やがて箱がちょうど埋まるくらいまで掘ると、リストの入った箱をその穴の中に入れて土をかけた。
埋葬は終わった。
ドナの声が響いた。
「皆さん、お墓を囲み手をつないでください。はい、それでは頭を下げましょう」
そこには、厳粛な空気が漂っていた。やがて追悼の辞が始まった。
「今日はここに《できない》君の死を悼み、友人の皆様にお集まりいただきました。
皆さまよくご存知の通り、生前の《できない》君の活躍ぶりには目をみはるものがありました。
また皆さまの中には、彼との深い親交を持たれた方もいらしゃるようです。
ただ、はなはだ残念なことではありますが、学校、市役所、州議事堂、そしてホワイトハウスにおいても、彼の悪い噂をいばしば耳にすることがありました。
しかし、故人となられた今、《できない》君が安らかに永遠の眠りにつかれることを、皆さまと共に心よりお祈りいたしましょう」
「なおここで、ご遺族の方々をご紹介いたします。
妹の《できる》さん、
弟の《やる気》君、
お兄さんの《今すぐ実行》君の三人の方々です。
彼らは《できない》君のように有名ではありませんし、有力者でもありません。
しかし、皆さまのお力添えをもち、いつかきっと、輝かしい功績を世界に残されることでしょう。
《できない》君、ここに安らかに眠れ。ご遺族の方々を始め、友人の皆様、彼の亡き後も、それぞれの人生をしっかり前向きに生きられますように。アーメン」
この追悼の辞を聞いた私は、子供たちこの日のことを一生忘れないだろうと思った。
彼らにとって、この儀式は、《できない》という否定的な考え方との別離である。自分ができないという思い込んでいることを自分の手で葬る。
こんな素晴らしいドナの思いつきに、彼女の教師としての熱意が感じられた。